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母とわたしの絵本の時間

山肩祐綵
 私の嫁入り道具はちょっと変わっている。幼少期に、母がローンを組んで買ってくれた、丸善の「世界の絵本セット」だ。一風変わっているけれど、親子の思い出が詰まった一生の宝物。母は嫁に出すとき綺麗に持っていけるよう、カバーをとって保管しているという。きっと、カバーを外すと本に染み付いた匂い、手垢、キズは親子の時間を想い出させてくれるに違いない。
 思い返すと、「世界の絵本」から選んで母のもとへ持って行くと、母は、細かい字で書いてある翻訳用の大きな本と、私が持ってきた絵本の両方を机に出し、必ず私を膝にのせて毎日読んでくれた。そして、読んでくれる時、物語おわりの語尾には「~って、おーしーまい。」と締めくくる。そして私は「もう一回読んで!」とねだる。毎日この繰り返し。母は嫌な顔も、面倒くさそうな顔もせずに読んでくれたなあ。
 この地球にはたくさんの国があって、絵には様々な色が使われていて、世界はたくさんの物語に溢れていることを絵本から知り、大人になっていった。
 そんな私は、中学生の時、母の誕生日に絵本をプレゼントした。母はとても喜んでくれて、絵本の裏表紙に贈られた日とそのときの心情を一言綴った。これが恒例行事となり、誕生日には絵本を贈りあうようになった。後から裏表紙を見返すとその歳の出来事やそのときの笑顔も浮かんでくる。
 私は27歳になった。母は老眼であまり本を読まなくなっている。これまでたくさんの物語を聞かせてくれたお礼に、絵本をプレゼントするだけでなく、今度は私が母に読み聞かせをするようになった。この前は、ユリー・シュルヴィッツ の『よあけ』を読んであげた。そして、あの日の母と同じように 「~って、おーしーまい。」と締めくくる私がいた。「娘に読んでもらえるようになるなんて」と嬉しそうに、翌日のリクエストをしてくる母であった。